ドイツの労災保険は「業種ごとの別組織」が担う
ドイツで従業員を雇うと、健康・年金・介護・失業の4つの社会保険に加えて、労災保険(gesetzliche Unfallversicherung) の対象になります。ただし労災保険だけは、他の4つと仕組みがまったく違います。
担い手は、業種ごとに組織された公法上の保険者、ベルーフスゲノッセンシャフト(Berufsgenossenschaft、略称BG) です。商業・物流(BGHW)、木材・金属(BGHM)、エネルギー・繊維・電気・メディア製品(BG ETEM)といった業種区分ごとにBGが分かれており、会社は自社の事業内容に対応する一つのBGに所属します。BGの上部団体がドイツ法定災害保険協会(DGUV)です。
保険が対象とするのは、業務上の事故(Arbeitsunfälle)、通勤途上の事故(Wegeunfälle)、職業病(Berufskrankheiten) の3つです(DGUV:保険料に関するFAQ)。
他の4つの社会保険との違いを押さえておくと、この後の実務がすっきり理解できます。ドイツの社会保険全体の構造はドイツ社会保険制度ガイドにまとめています。
保険料は会社だけが負担する
最初に押さえるべき違いがこれです。健康保険や年金保険は労使で保険料を分担しますが、労災保険は違います。DGUVは 「ベルーフスゲノッセンシャフトの財源は、企業の保険料のみによって賄われる(allein durch die Beiträge der Unternehmen)」 と明示しています。
つまり従業員の給与から労災保険料が天引きされることはありません。 人件費の見積で社会保険料の事業主負担を計算するとき、労災保険料は会社側に全額乗る別枠の費目として扱う必要があります。
加入手続き:1週間以内——ただし営業届で足りる
法律上の義務
社会法典第7編(SGB VII)の第192条により、事業主は事業開始から1週間以内に、所管の労災保険者へ次の事項を届け出なければなりません。
- 事業の種類と対象
- 被保険者の数
- 開業日、または準備作業に着手した日
実務上の重要なポイント
ここに、日系企業の担当者が知っておくと手間が一つ減る規定があります。DGUVの新規事業の届出に関する案内は、 「事業について営業届(Gewerbeanmeldung)が提出された場合、第192条の届出義務は履行されたものとみなす」 と明記しています。労災保険の側は、営業届の情報を電子的に受け取る仕組みになっています。
つまり、現地法人が営業届を出していれば、BGへの届出義務そのものは満たされます。 届出を忘れて違反する、という構図にはなりにくいのです。
では何が問題になるのか。本当の落とし穴は、届出の「後」に来ます。 BGは所管の開始を決定すると、その決定通知(Bescheid)とともに会社ごとの事業者番号(Unternehmensnummer) を知らせてきます。そこから、毎年の賃金報告と保険料の支払いが始まります。この通知が、登記上の住所——たとえばバーチャルオフィスや会計事務所の住所——に届き、社内の誰にも渡らないまま止まる場合、以降の手続きがすべて滞ります。
所管のBGが分からない場合、DGUVは無料の案内電話(0800 60 50 40 4)を設けています。設立直後にやるべき手続き全体の中での位置づけはGmbH設立後90日チェックリストを参照してください。
保険料の計算式
保険料の計算方法は、DGUVの保険料計算の解説に示されています。
保険料 = 賃金総額 × 保険料基準値(Beitragsfuß)× 危険等級(Gefahrklasse)÷ 1,000
危険等級(Gefahrklasse) は、各BGが定める 危険料率表(Gefahrtarif) で業種ごとに決まります。事故の起きやすさに応じて保険料を段階づける仕組みで、事務所業務と製造現場では等級が大きく異なります。
もう一つ重要なのは支払いのタイミングです。DGUVによれば、労災保険料は 「他の社会保険と異なり、事業年度の終了後に初めて計算される」 賦課方式です。つまり当年分の保険料が確定するのは翌年です。予算上は、前年の人件費に基づく請求が翌年に来る、という時間差を見込んでおく必要があります。
毎年の賃金報告(Lohnnachweis)
保険料計算の基礎になるのが、事業主が毎年提出する賃金報告(Lohnnachweis) です。DGUVの賃金報告に関するFAQによれば、報告には保険料対象の賃金、労働時間、従業員数を危険料率の区分ごとに記載し、システム認証を受けた給与計算ソフト、または手入力用の公式入力ツールを通じて電子的に送信します。
報告が届かない場合、労災保険者はデータを推計して保険料を計算できます。また、提出しないことが繰り返されると、保険者が過料(Bußgeld)を科すことがある、とされています。
給与計算を外部の税理士や給与計算事務所に委託している場合は、賃金報告が委託範囲に含まれているかを契約上確認しておくことが大切です。給与計算は回っているのに、賃金報告だけが誰の担当でもない——という空白が生まれ得るからです。
事故が起きたら:3日以内の労災報告
事故が起きた場合の報告義務は、SGB VII第193条が定めています。
- 対象: 従業員が死亡した場合、または3日を超えて就労不能になった場合
- 期限: 事業主が事故を知ってから3日以内
- 署名: 従業員代表委員会(Betriebsrat)がある場合は、その共同署名が必要
- 共有: 労働安全専門職と産業医にも写しを知らせる
「3日を超える就労不能」という基準は、軽微なけがを除外する線引きです。逆に言えば、通勤途上の事故も対象である点を現地社員に周知しておかないと、事故の情報がそもそも会社に上がってきません。入社時の説明に組み込んでおくのが確実です。入社手続きの全体像はドイツの入社手続きとオンボーディングで扱っています。
日系企業が押さえておきたい実務の分岐点
所属BGの判定
BGの所属は事業内容で決まります。販売拠点として設立した会社が、後に修理やメンテナンスなど現場作業を始めた場合、危険等級の区分が変わる可能性があります。事業内容を変えたときは、所属BGへの申告内容を見直すタイミングです。ここは所属BGや専門家に確認を取るべき分岐点です。
駐在員の扱い
日本から派遣される駐在員については、日独社会保障協定の範囲に注意が必要です。日本年金機構の協定相手国一覧によれば、ドイツとの協定の対象は両国とも公的年金制度のみで、労災保険は協定による調整の対象外です。
つまり、年金の二重加入を協定で整理できても、労災保険については別途、派遣形態(雇用契約の相手が日本本社かドイツ法人か、派遣期間など)に応じた確認が必要になります。日本の労災保険には海外派遣者向けの特別加入制度もあります(厚生労働省『特別加入制度のしおり(海外派遣者用)』)。どちらの制度でカバーするかは、派遣を決める段階で専門家に確認してください。
よくある落とし穴
BGからの通知が社内に届かない。 営業届で届出義務は自動的に満たされる一方、その後の通知は登記住所宛てに来ます。受け取り窓口を決めておかないと、最初の請求を見落とします。
労災保険料を人件費見積に入れていない。 労使折半の社会保険料だけで計算すると、会社負担のみの労災保険料が漏れます。
保険料の確定が翌年になることを見込んでいない。 賦課方式のため、前年分の請求が翌年に届きます。
通勤途上の事故を社員が報告しない。 対象になることを知らなければ、情報は上がってきません。
よくある質問
Q. BGへの届出を別途しなければなりませんか。
A. DGUVは、営業届が提出されていれば第192条の届出義務は履行されたものとみなすとしています。ただし事業者番号の通知以降の手続きは、会社側で対応が必要です。
Q. 保険料はいくらになりますか。
A. 賃金総額、所属BGの保険料基準値、自社の危険等級で決まります。事務所中心か現場作業中心かで大きく変わるため、一律の目安は示せません。
Q. 従業員の給与から保険料を差し引けますか。
A. できません。労災保険の財源は企業の保険料のみで賄われます。
Q. 在宅勤務中の事故も対象ですか。
A. 業務上の事故かどうかの判断は個別の状況によります。所属BGに確認してください。
Q. 賃金報告を出し忘れるとどうなりますか。
A. 保険者がデータを推計して保険料を計算できるほか、未提出が繰り返されると過料の対象になることがあります。
まとめ——今週できる次の一歩
ドイツの労災保険は業種別のBGが担い、保険料は会社だけが負担します。事業開始から1週間以内の届出義務は、営業届の提出によって履行されたものとみなされます。保険料は「賃金総額×保険料基準値×危険等級÷1,000」で、事業年度の終了後に確定します。毎年の賃金報告と、事故時の3日以内の報告が継続的な義務です。
今週できる一歩として、2つのことを確認してください。第一に、自社の事業者番号(Unternehmensnummer)を社内の誰が把握しているか。 即答できなければ、BGからの通知がどこかで止まっている可能性があります。第二に、給与計算の委託契約に賃金報告が含まれているか。 この2点で、労災保険の実務の大半は押さえられます。
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本記事は2026年9月24日時点の公開情報に基づいています。法令・保険料・運用は変更される場合がありますので、実際の手続きにあたっては所属BGおよび専門家の確認をお願いします。