サンプルを送る前に——それは「輸入」であり「上市」でもある
見込み客に製品サンプルを送る。展示会でデモ機を配る。日本の感覚では「宅配便で数個送るだけ」の軽い作業に見えます。ところがドイツ・EUでは、サンプル一つを相手に渡すまでに、三つの法的な関門を通ります。第一に、国境を越える「輸入」であること(関税・輸入VAT・通関)。第二に、無料であっても市場に製品を「提供する(上市)」行為に当たり得ること(GPSR・CEなどの製品規制)。第三に、渡した後のVAT(無償提供の扱い)です。
この三つを知らずに送ると、よくあることが起きます——サンプルが税関で止まり、受け取るはずの見込み客に予期せぬ輸入税の請求が届き、初対面から印象を損なう。あるいは、CE非対応・EU域内責任者不在のサンプルを展示会で配り、規制上の問題を抱える。本記事は、日系企業がドイツ・EUでサンプルを配布するために、通関(関税・ATAカルネ・輸入VAT)と製品規制(GPSR・CE・カテゴリー別)、そして配布後のVATまでを、実務の順で整理します。
通関①:関税——「価値のないサンプル」の免税と落とし穴
まず関税です。EUには、「僅少な価値の見本(samples of negligible value)」を関税免除とする制度があります。根拠はEU関税免除規則(理事会規則1186/2009)第86条で、これはドイツを含む全加盟国に共通して適用されます。ただし条件があります。対象は「注文を勧誘する目的でのみ使えるもの」に限られ、税関はサンプルを商品として使えないよう加工することを求めることがあります。たとえば、生地を裁断・穿孔する、衣類に「見本(Muster)」と刻印する、靴に穴を開ける、といった具合です。加工により転売できなくしたうえで、見本としての機能は残す——これが免税の考え方です。当然ながら、免税で入れた見本を販売・譲渡することはできません。
ここに、日系企業がはまる落とし穴があります。インボイスに「No commercial value(無償・価値なし)」と書けば免税になる、という誤解です。実際には、税関は独自に価値を評価します。実勢価値のある完成品を「価値なし」と申告しても通りません。適切なのは、現実的な名目価値(nominal value)を記載し、「商業見本・販売不可(commercial sample, not for resale)」と明示することです。加えて、EU域内へ商業目的で輸入するにはEORI番号が必要です。「僅少な価値」に当たらない通常のサンプル(実勢価値のあるデモ機など)は、原則どおり関税・輸入VATの対象になり得ます——その受け皿が、次のATAカルネです。
通関②:ATAカルネ——展示会・商談サンプルを免税で持ち込む
実勢価値のあるデモ機、測定器、展示什器などを「持ち込んで、また持ち帰る」なら、ATAカルネ(Carnet A.T.A.、admission temporaire=一時輸入) が有効です。これは「物品のパスポート」とも呼ばれる国際通関文書で、ドイツのIHK(商工会議所)が発給する解説によれば、対象国での関税およびその他の輸入諸税(輸入VATを含む)の支払い・供託が不要になります。
ATAカルネの対象は、商業見本(Warenmuster)、職業用具(Berufsausrüstung)、見本市・展示会用物品(Messe- und Ausstellungsgüter) の三分類です。有効期間は最長1年で、持ち込んだ物品は期限内に再輸出することが条件になります。発給と保証はドイツのIHKが担い、消費される物品や販売目的の物品は対象外です。したがって、展示会でその場で配ってしまう消耗サンプルには不向きで、再び持ち帰るデモ機・什器・試験機にこそ向きます。展示会の準備全体はドイツ展示会活用戦略、商談での使い方はDACH商談会活用ガイドも参照してください。
輸入VATとインコタームズ:誰が支払うかを設計する
関税とは別に、輸入VAT(Einfuhrumsatzsteuer) があります。僅少な価値の見本やATAカルネの一時輸入でない限り、通常の輸入には原則として標準税率(19%)の輸入VATがかかります。VATの全体像はドイツVAT申告完全ガイドにまとめています。
実務で効くのが、インコタームズ(引渡条件)の設計です。ここを詰めずに送ると、輸入者(記録上の名義人)が受け取り側の見込み客になり、相手に関税・輸入VATの請求と通関手続きの手間が降りかかる——サンプルを渡したいのに、相手にコストと面倒を押し付ける結果になります。これを避けるには、DDP(Delivered Duty Paid=関税込持込渡し) など、送る側が輸入諸税と通関を負担する条件を選びます。誰が輸入者になり、誰が税を払うかを事前に決めておくこと。物流条件の詰め方はドイツ物流契約完全ガイドも手がかりになります。
製品コンプライアンス:無料サンプルでもGPSR・CEは免除されない
ここが、最も見落とされ、最も重い論点です。「無料だから規制は関係ない」は通用しません。 見込み客にサンプルを渡す行為は、多くの場合、製品を市場で「提供する(making available on the market)」ことに当たり、製品安全規制の対象になります。
2024年12月13日から適用が始まったEU一般製品安全規則(GPSR、規則2023/988)は、旧・一般製品安全指令(2001/95/EC)を置き換えたもので、消費者向け製品(および消費者の手に渡り得る製品)に適用されます。重要なのは、製品ごとにEU域内に責任を負う経済事業者(EU製造者・輸入者・授権代理人・フルフィルメントサービス提供者のいずれか)が存在しなければ、市場で提供できないという要件です。日本から直接サンプルを送るだけでは、このEU域内責任者が不在になりがちで、たとえ無料のサンプルでも要件を満たしません。
さらに、CEマーキング対象の製品(機械、電気製品、玩具、PPEなど)は、サンプルであっても適合していなければ市場で提供できません(CEマーキング完全ガイド)。GPSRを含む製品規制の全体像はEU製品規制の全体像、輸入者・経済事業者の責任は輸入者責任の実務にまとめています。サンプルは「規制の抜け道」ではなく、本番の上市と同じ関門を通ると考えてください。
カテゴリー別の追加規制:食品・化粧品など
製品の種類によっては、さらに固有の規制が重なります。食品サンプルなら、EUの表示規則や輸入要件(衛生・成分・アレルゲン表示など)を満たす必要があります(食品の表示と輸入要件)。化粧品サンプルなら、EU化粧品規則に基づくCPNP(届出ポータル)への登録と、EU域内の責任者(Responsible Person)の選任が、無料サンプルであっても前提になります(化粧品成分規制の実務)。自社製品にどの規制が重なるかは、業界ごとに確認するのが確実です(ドイツ進出の業界別規制確認)。「サンプルだから簡易でよい」という例外は、これらの分野には基本的にありません。
配布後のVAT:見本と少額の贈答は非課税
無事に持ち込み、コンプライアンスも満たしたサンプルを、いよいよ無償で配ります。ここでもVATの論点があります。ドイツでは、事業者が製品を無償で提供すると、原則として「無償の価値提供(unentgeltliche Wertabgabe)」として課税対象になり得ます。ただし例外があり、ドイツVAT法(UStG)第3条第1b項により、見本(Warenmuster)と少額の贈答(Geschenke von geringem Wert)は課税対象から除かれます。少額の基準は、受贈者一人あたり暦年で35ユーロ(正味・VAT抜き)までです。
一点、注意があります。ここでいう「見本」とは、その製品自体の販売を促すための試供品を指します。欧州司法裁判所の考え方では、サンプル本体ではなく別の商品(消耗品など)の販売を促すものは、見本と認められないことがあります。つまり、本物のサンプルとして配り、記録を残すことが、非課税の前提になります。
実務の段取り:チェックリスト
サンプル配布は、次の順で段取りすると詰まりません。まず、送る物品を分類します——僅少な価値の見本(免税)か、持ち帰るデモ機・什器(ATAカルネ)か、実勢価値のある通常輸入か。次に、EORI番号を用意し、インボイスには名目価値と「商業見本・販売不可」を明記する。免税見本なら、必要に応じて加工(穿孔・刻印) を施す。
そのうえで、インコタームズ(DDP等) で輸入者と税負担を設計し、相手に請求が飛ばないようにする。並行して、製品コンプライアンスを確認する——GPSRのEU域内責任者、CE適合、食品・化粧品などのカテゴリー別要件。最後に、配布後のVAT記録(見本・少額贈答の非課税)を残す。この順で押さえれば、「サンプルが税関で止まる」「相手に思わぬ請求が届く」「規制違反のサンプルを配る」という三つの事故を防げます。
よくある落とし穴
サンプルを「ただの発送」と考える。 ドイツ・EUでは、輸入・上市・VATの三つの関門を通ります。軽い作業ではありません。
インボイスに「価値なし」と書けば免税だと思う。 税関は独自に価値を評価します。名目価値を記載し、「商業見本・販売不可」と明示してください。
インコタームズを詰めず、相手に輸入税が降りかかる。 DDP等で送る側が負担を引き受け、通関手続きも設計します。
無料だからGPSR・CEは関係ないと考える。 無償サンプルでも「上市」に当たり、EU域内責任者やCE適合が必要です。
再輸出するデモ機に通常輸入をしてしまう。 持ち帰る物品はATAカルネで一時輸入すれば、関税・輸入VATを回避できます。
食品・化粧品サンプルを簡易に扱う。 表示・CPNP・責任者などの固有規制は、サンプルでも免除されません。
よくある質問
Q. 無料のサンプルなら関税はかかりませんか。 A. 「僅少な価値の見本」は関税免除の対象になり得ます(規則1186/2009)。ただし転売不可で、税関が加工(穿孔・刻印)を求めることがあります。実勢価値のある物品は原則課税対象です。
Q. インボイスに「No commercial value」と書けば免税ですか。 A. なりません。税関は独自に価値を評価します。名目価値を記載し、「商業見本・販売不可」と明示するのが適切です。
Q. 展示会に持ち込むデモ機はどうすればよいですか。 A. ATAカルネが有効です。関税・輸入VATなしで一時輸入でき、1年以内に再輸出します。IHKが発給し、消費品や販売目的の物品は対象外です。
Q. 無料サンプルにもGPSRやCEは適用されますか。 A. 適用され得ます。サンプル配布は「市場での提供」に当たり得るため、GPSRのEU域内責任者やCE適合が、無償でも必要になります。
Q. サンプルを配ったらVATがかかりますか。 A. 見本(Warenmuster)と少額の贈答(受贈者あたり暦年35ユーロ・正味まで)は、UStG第3条第1b項により無償提供の課税対象から除かれます。記録は残してください。
Q. 相手に輸入税の請求が行かないようにするには。 A. インコタームズをDDP等にし、送る側が輸入諸税と通関を負担する設計にします。誰が輸入者になるかを事前に決めておくことが肝心です。
まとめ:今週できる次の一歩
ドイツ・EUのサンプル配布は、次の順で整理できます。まず、送る物品を「免税見本/ATAカルネ/通常輸入」に分類する。次に、EORIとインボイス(名目価値・販売不可)、必要なら加工を用意し、インコタームズで税負担を設計する。そのうえで、GPSR・CE・カテゴリー別規制という製品コンプライアンスを、無償でも満たす。最後に、配布後のVAT(見本・少額贈答の非課税)を記録する。
サンプルは、マーケティングの小道具である前に、輸入であり上市です。ここを設計しておくことが、税関での停滞や、相手への予期せぬ請求、規制違反という初歩的な事故を防ぎ、サンプルを本来の目的——信頼と受注につなげる第一歩にします。
TSM合同会社では、日系企業のドイツ・EUへのサンプル配布について、通関スキーム(免税見本・ATAカルネ)の選択、インコタームズと輸入VATの設計、GPSR・CEを含む製品コンプライアンスの確認までを、日本語で支援しています。製品規制・通関まわりの体制づくりは法務・コンプライアンス支援サービスをご覧ください。送る前に設計しておくほど、後戻りのコストは小さくなります。
本記事は2026年7月31日時点の法令・公開情報に基づく一般的な解説であり、個別の税務・法務・通関上の助言ではありません。関税・輸入VAT・製品規制の適用は品目や個別事情により異なるため、実務にあたってはドイツの税理士・通関業者・専門家による確認をお取りください。