欧州、とりわけドイツに製造・販売拠点を設ける日系企業にとって、雇用契約 は「現地で最初につまずきやすい論点」です。日本の雇用慣行をそのまま持ち込むと、ドイツの労働法に抵触し、思わぬ紛争やコストにつながります。
本記事では、ドイツに現地法人を設立した 製造業の匿名事例(複数の支援経験をもとに再構成した事例)をもとに、「欧州 雇用契約」での課題 → 打ち手 → 成果 をストーリー形式で解説します。同じ立場の企業が再現できる学びを抽出することが狙いです。
本事例は特定の実在企業を指すものではなく、典型的な失敗パターンを匿名化・一般化した教育目的のケースです。
事例の背景——産業機械メーカーA社のドイツ進出
A社は、日本国内で確固たる地位を持つ産業機械メーカーです。欧州市場の需要拡大を受け、ドイツに販売・アフターサービス拠点(GmbH)を設立し、現地で営業・サービスエンジニア・事務スタッフの採用を開始しました。
ところが、進出初期に日本本社の人事部が主導して整備した雇用契約・労務運用が、ドイツの法制度と噛み合わず、進出から1年半の間に複数のトラブル を招くことになりました。
直面した課題(4つの落とし穴)
課題1:日本式の簡易な雇用契約書
A社は当初、日本の労働条件通知書を翻訳した 簡易な契約書 を使っていました。しかしドイツでは、EU指令2019/1152(透明で予測可能な労働条件に関する指令、2022年8月施行)を国内法化した 証明法(Nachweisgesetz/NachwG) により、使用者は勤務地・職務内容・賃金の構成・労働時間・試用期間・解雇予告期間・休暇・研修受講権など 労働条件の重要事項を明示する義務 を負います。記載漏れは行政上の制裁リスクや、従業員との信頼低下につながりました。
課題2:1年間の試用期間
A社は日本の「試用期間」の感覚で 1年間の試用期間 を設定していました。しかしドイツの試用期間(Probezeit)は 最長6か月 です。試用期間中は 2週間の予告期間 で解約できますが(BGB §622条3項)、6か月を超える試用期間の定めは無効と扱われ、想定していた「お試し雇用」が機能しませんでした。
課題3:有期雇用契約の安易な多用
「柔軟に雇用調整したい」という本社の意向で、A社は 有期雇用契約(Befristung)を反復 しようとしました。しかしドイツでは、客観的な理由のない有期契約(sachgrundlose Befristung)は 原則として最長2年 に制限されます(TzBfG)。さらに、有期契約は2025年以降も 厳格な書面(または適格電子署名)が必須 で、期間途中の通常解約は契約に明記した場合のみ可能です。これらを理解しないまま運用したため、「想定どおりに契約を切れない」「無期契約とみなされかねない」リスクを抱えました。
課題4:「成績不良ならすぐ解雇できる」という誤解
最大の誤算が解雇でした。A社は成績不良のスタッフを日本的な感覚で解雇しようとしましたが、ドイツの 解雇制限法(Kündigungsschutzgesetz/KSchG) が立ちはだかります。KSchGは 従業員が10名を超え、かつ勤続6か月を超える 場合に適用され、適用後の解雇には 一身上・行為・経営上のいずれかの正当事由 が必要です。記録も警告(Abmahnung)もないまま行った解雇は無効を争われ、解雇保護訴訟(Kündigungsschutzklage)と和解金 の負担が発生しました。労働裁判所での争いの流れはドイツ労働裁判所 完全ガイドも参照ください。
打ち手——ドイツ労働法に合わせた契約・運用の再設計
A社は現地の労働法専門弁護士(Fachanwalt für Arbeitsrecht)と連携し、契約と運用を抜本的に作り直しました。
打ち手1:Nachweisgesetzに準拠した契約テンプレートへ刷新
労働条件の重要事項を漏れなく記載した契約テンプレートを整備。あわせて、2025年1月1日施行の 第四次官僚負担軽減法(Bürokratieentlastungsgesetz IV) により、多くの 無期契約は「テキスト形式(Textform)」 ——PDFや電子的な方法——で締結・交付できるようになった点を活用し、入社手続きを効率化しました。ただし 有期契約は引き続き厳格書面が必要 なため、契約タイプごとに運用を分けました。
打ち手2:試用期間を法定の最長6か月に是正
試用期間を6か月以内に設定し直し、BGB §622条3項の2週間予告に沿った運用へ。試用期間中に見極めるための 評価面談とフィードバックの仕組み を併せて導入しました。
打ち手3:有期契約の使い方を適正化
有期契約は「客観的理由がある場合」または「2年の上限内」に限定し、必要な場合は 期間途中解約条項 を明記。安易な反復をやめ、無期契約を基本とする方針に転換しました。
打ち手4:解雇に耐える人事プロセスの構築
採用時の職務記述書(Job Description)を明確化し、勤務評価・指導記録・警告(Abmahnung)を文書で残す運用を標準化。これにより、KSchG適用後でも 行為・能力を理由とする措置を法的に説明できる 体制を整えました。労働時間は労働時間法(ArbZG、1日原則8時間)に沿って管理しています(参考:労働時間管理チェックリスト)。
成果
再設計の結果、A社では次の変化が生まれました。
- コンプライアンス上の不安が解消 し、解雇関連の紛争が発生しなくなった。
- 契約・手続きが標準化され、採用から入社までのリードタイムが短縮。
- 現地スタッフの 契約への信頼が高まり、定着率が改善。
- 労務リスクが見通せるようになり、拠点の増員計画を立てやすくなった。
「日本式をそのまま持ち込む」発想から「現地法に合わせて設計する」発想への転換が、結果的に採用力と組織の安定につながりました。
この事例からの学び(再現性のあるポイント)
- 日本の契約書を翻訳しただけでは通用しない。 Nachweisgesetz(証明法)が求める重要事項を、現地法準拠で網羅する。
- 試用期間は最長6か月。 1年の試用期間は無効。見極めは6か月で完結する設計に。
- 有期契約は万能ではない。 客観的理由なしは原則2年まで、書面要件も厳格。基本は無期契約と捉える。
- 解雇は「10名超×勤続6か月超」で一気に難しくなる。 11人目を雇う前に、記録・警告を前提とした人事プロセスを用意する。
- 現地の労働法専門弁護士への早期相談は、訴訟コストより安い。 入口の契約設計に投資する。
ドイツの労働法の全体像はドイツ労働法の基礎ガイドもあわせてご覧ください。
よくある質問(FAQ)
Q. 既に1年の試用期間で契約してしまった場合はどうなりますか。 A. 6か月を超える部分の「お試し」効果は期待できず、超過後はKSchGの解雇規制を前提に運用する必要があります。契約書自体を現地法準拠版に巻き直し、以後の採用で同じ轍を踏まないことが実務的な対処です。
Q. 従業員を10名以下に抑えればKSchGは適用されませんか。 A. 小規模事業所には適用されませんが、頭数の数え方にはパートタイムの按分などの計算ルールがあり、境界線上の判断は専門家確認が必要な分岐点です。また適用外でも解雇が完全に自由になるわけではなく、差別禁止や信義則といった一般法理は及びます。
Q. 派遣や業務委託を使って「雇用しない」選択肢はありますか。 A. 立ち上げ期の有効な選択肢ですが、ドイツの労働者派遣は許可制などの規制があり、業務委託も実態が雇用と判断されれば偽装自営(Scheinselbständigkeit)として社会保険料の遡及負担リスクがあります。恒常的な業務は雇用で設計するのが原則です。
まとめ
欧州(ドイツ)の 雇用契約 は、日本とは前提が大きく異なります。本事例の要点を整理します。
- 契約書はNachweisgesetz準拠が必須。2025年の改正で無期契約はテキスト形式が可能になったが、有期契約は厳格書面のまま。
- 試用期間は最長6か月、有期契約はTzBfGの制約、解雇はKSchG(10名超・6か月超)という3つの壁を最初から織り込む。
- 「失敗してから直す」より「入口で現地仕様に設計する」方が、時間もコストも圧倒的に有利。
TSM合同会社では、ドイツ・EUでの雇用契約テンプレートの整備、試用期間・有期契約・解雇規制を踏まえた労務設計、現地弁護士・税理士との連携まで、製造業をはじめとする日系企業の人事・労務を一気通貫でサポートしています。雇用契約や採用体制の構築でお困りの企業様は、採用・人事労務サポートとあわせてお気軽にご相談ください。
本記事は2026年7月16日時点の情報に基づく一般的な解説であり、特定の事案に対する法的助言ではありません。法令・判例は改正・変更される可能性があります。個別の雇用契約・労務対応にあたっては、ドイツの労働法専門弁護士など専門家の最新の助言をご確認ください。