はじめに
欧州で事業を展開する日本企業にとって、「監査」と「開示」の義務は国によって異なり、複雑です。特にDACH(ドイツ・オーストリア・スイス)の3カ国は、それぞれ独自の商法典に基づく企業規模分類と監査義務を定めています。
さらに、2026年3月19日にEU「Omnibus I指令」が施行され、サステナビリティ報告義務(CSRD)の対象企業が約80%削減されるという大きな制度変更がありました。
本記事では、DACH3カ国の法定監査義務の比較と、CSRD Omnibus改正の実務的な影響を整理します。
※ドイツ単体の監査対応(HGB、Betriebsprüfung、移転価格文書化)の詳細は、ドイツの監査対応——法定監査・税務調査・移転価格の実務ガイドをご参照ください。
DACH3カ国の法定監査閾値——比較表
ドイツ(HGB §267、2024年4月改正後)
| 規模区分 | 総資産 | 売上高 | 従業員数 | 法定監査 |
|---|---|---|---|---|
| 小規模 | ≤€7.5M | ≤€15M | ≤50人 | 不要 |
| 中規模 | ≤€25M | ≤€50M | ≤250人 | 必要 |
| 大規模 | 上記超 | 上記超 | 上記超 | 必要 |
判定基準:3項目のうち2つ以上を2期連続で超過した場合に上位区分。2024年4月に金額基準を約25%引き上げ。
出典:HGB §267
オーストリア(UGB、2024年11月改正後)
| 規模区分 | 総資産 | 売上高 | 従業員数 | 法定監査 |
|---|---|---|---|---|
| 小規模 | ≤€6.25M | ≤€12.5M | ≤50人 | 不要 |
| 中規模 | ≤€25M | ≤€50M | ≤250人 | 必要 |
| 大規模 | 上記超 | 上記超 | 上記超 | 必要 |
判定基準:ドイツと同様に2つ以上を2期連続で超過。2024年11月のUGB閾値令により金額基準を約25%引き上げ(2024年1月1日に遡及適用)。
出典:UGB(オーストリア企業法典)閾値令(2024年11月20日公布)
スイス(OR、2024年時点)
| 監査種別 | 総資産 | 売上高 | 従業員数 | 内容 |
|---|---|---|---|---|
| 通常監査(ordentliche Revision) | >CHF 20M | >CHF 40M | >250人(FTE) | 完全な法定監査 |
| 限定的審査(eingeschränkte Revision) | 上記未満 | 上記未満 | ≤250人 | 簡易的な審査(ネガティブ保証) |
| 監査免除(Opting-out) | — | — | ≤10人(FTE) | 全株主の同意で免除可能 |
判定基準:3項目のうち2つ以上を2期連続で超過した場合に通常監査義務。
出典:OR(スイス債務法)第727条
3カ国比較のポイント
| 項目 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 根拠法 | HGB(商法典) | UGB(企業法典) | OR(債務法) |
| 監査資格 | Wirtschaftsprüfer(WP) | Wirtschaftsprüfer(WP) | zugelassener Revisionsexperte |
| 監督機関 | WPK(経済監査士会議所) | APAB(監査監督庁) | RAB(連邦監査監督局) |
| 小規模GmbHの監査免除 | あり(閾値以下) | あり(閾値以下) | Opting-out可(10人以下) |
| 閾値の直近改正 | 2024年4月(+25%) | 2024年11月(+25%、遡及適用) | 直近改正なし |
| EU指令の適用 | あり | あり | なし(非EU) |
| CSRD適用 | あり | あり | なし |
日本企業への実務的な意味
| ケース | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 売上€10M・従業員30名のGmbH | 小規模=監査不要 | 小規模=監査不要 | 限定的審査 or Opting-out |
| 売上€30M・従業員120名のGmbH | 中規模=監査必要 | 中規模=監査必要 | 通常監査の可能性(CHF換算で判定) |
| 親会社が連結監査を要求 | 法的義務とは別に任意監査 | 同左 | 同左 |
注意: スイスはEU加盟国ではないため、EU指令(監査指令、CSRD等)は直接適用されません。ただし、スイス独自の法令(OR)がEU規制と同等の水準を維持しているケースが多く、スイスの上場企業はIFRSまたはSwiss GAAP FERでの報告が求められます。
CSRD Omnibus I改正——2026年3月19日施行
何が変わったのか
2026年3月19日に施行されたEU「Omnibus I指令」により、企業サステナビリティ報告指令(CSRD)の適用範囲が大幅に縮小されました。
| 項目 | 改正前 | 改正後(Omnibus I) |
|---|---|---|
| 対象企業の基準 | 従業員250人超 or 売上€50M超 | 従業員1,000人超 AND 売上€450M超 |
| 対象企業数(EU全体推計) | 約50,000社 | 約10,000社(約80%削減) |
| バリューチェーン要求 | 広範囲 | 従業員1,000人以下の企業への要求を制限 |
| 報告基準 | 完全版ESRS | 簡素化ESRS(2025年12月草案公表) |
出典:EU理事会プレスリリース(2026年2月24日)、欧州委員会
日本企業への影響
| 企業規模 | CSRD適用 | 対応 |
|---|---|---|
| ドイツ子会社・従業員100名・売上€20M | 対象外 | VSME自主基準の検討(推奨) |
| ドイツ子会社・従業員500名・売上€100M | 対象外 | VSME自主基準の検討(推奨) |
| ドイツ子会社・従業員1,500名・売上€500M | 対象 | 完全版(簡素化)ESRSでの報告義務 |
多くの日本企業のドイツ法人はOmnibus I改正により、CSRD報告義務から外れました。 ただし、日本の親会社が独自のESG開示方針を持っている場合や、取引先からサステナビリティ情報を求められる場合には、自主的な報告を行う意義があります。
VSME自主基準(推奨)
CSRD対象外の中小企業向けに、EFRAG(欧州財務報告諮問グループ)が策定した「VSME(Voluntary SME Standard)」があります。2025年7月に欧州委員会の推奨として公表されました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 策定者 | EFRAG |
| 公表時期 | 2025年7月(欧州委員会推奨) |
| 対象 | CSRD対象外の中小企業 |
| 特徴 | 完全版ESRSより簡素で実務志向 |
| 法的義務 | なし(任意) |
| 利用メリット | 取引先への情報提供、ESG評価の向上、将来のCSRD適用に備えた準備 |
DACH各国の監査コスト目安
| 項目 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 法定監査(中規模GmbH) | €20,000〜€50,000/年 | €15,000〜€40,000/年 | CHF 25,000〜60,000/年 |
| 限定的審査(スイスのみ) | — | — | CHF 5,000〜15,000/年 |
| 税務申告(Steuerberater等) | €5,000〜€30,000/年 | €5,000〜€25,000/年 | CHF 8,000〜35,000/年 |
| CSRD報告(対象企業のみ) | €30,000〜€100,000(初年度) | 同程度 | 対象外 |
注意: 上記は中規模法人の一般的な目安です。業種、取引の複雑さ、グループ構造により大きく異なります。
実務チェックリスト——DACH監査・開示対応
| # | チェック項目 | 対象国 |
|---|---|---|
| 1 | 各国の企業規模分類を確認し、法定監査義務の有無を把握した | DACH全体 |
| 2 | 2024年の閾値引き上げにより、規模区分が変更される可能性を確認した | 独・墺 |
| 3 | 法定監査が必要な場合、現地のWirtschaftsprüfer / Revisionsexperteを選任した | DACH全体 |
| 4 | スイス法人で従業員10名以下の場合、Opting-outの適用可否を確認した | スイス |
| 5 | CSRD Omnibus I改正後の新基準で、報告義務の有無を再評価した | 独・墺 |
| 6 | CSRD対象外の場合でも、VSME自主基準の適用を検討した | 独・墺 |
| 7 | 日本の親会社の連結監査・ESG開示要件と現地義務の差異を整理した | DACH全体 |
| 8 | 各国の申告期限と監査スケジュールを一覧化し、関係者と共有した | DACH全体 |
| 9 | 移転価格文書化が各国で求められる範囲を確認した(ドイツは2025年新規則に注意) | DACH全体 |
| 10 | 複数国に法人がある場合、監査法人の統一 or 連携体制を検討した | DACH全体 |
よくある質問
Q: ドイツとオーストリアで同じ監査法人を使えますか?
大手監査法人(Big 4やBDO、Grant Thornton等)はDACH3カ国にオフィスを持っており、同一ネットワーク内の各国メンバーファームに依頼することで、統一的な監査を実施できます。ただし、各国の法定監査は現地の資格者(ドイツ・オーストリアではWirtschaftsprüfer、スイスではzugelassener Revisionsexperte)が実施する必要があります。
Q: スイス法人はCSRDの影響を受けませんか?
スイスはEU加盟国ではないため、CSRDは直接適用されません。ただし、EU域内の親会社がCSRD対象企業で、スイス子会社のデータを連結報告に含める必要がある場合には、間接的に影響を受けます。また、スイスには独自のサステナビリティ報告義務(CO第964a条以下)があり、上場企業や大企業に適用されます。
Q: 2024年の閾値引き上げで、今年から監査が不要になりました。過去の監査費用は無駄になりますか?
オーストリアでは遡及適用が認められているため、2024年1月1日以降の決算年度について、新閾値で再評価し、監査義務が消滅する場合があります。ドイツでは2024年4月施行日以降の決算年度に適用されます。いずれの場合も、現地のSteuerberaterに個別に確認することを推奨します。
まとめ
DACH3カ国の監査義務は、共通のEU指令に基づきつつも、各国の商法典で独自の閾値と運用がなされています。2024年のEU指令による閾値引き上げ(約25%)はドイツとオーストリアで実施済みで、これにより一部の中規模企業が小規模に再分類され、監査義務が免除される可能性があります。
さらに、2026年3月のCSRD Omnibus I改正は、多くの日本企業のドイツ・オーストリア法人をサステナビリティ報告義務から解放しました。ただし、ESG情報開示の重要性は制度の対象外であっても変わりません。VSME自主基準の活用を検討し、将来の制度拡大に備えることを推奨します。
複数のDACH諸国に法人を持つ場合は、各国の監査法人の連携体制を早期に整備し、統一的な監査・開示対応を行うことが効率的です。
本記事は、HGB(ドイツ商法典)、UGB(オーストリア企業法典)、OR(スイス債務法)、EU理事会プレスリリース、EFRAG、欧州委員会の公開情報に基づいて作成しています。個別の監査・開示対応については、各国のWirtschaftsprüferまたは監査専門家にご相談ください。