はじめに
ドイツ・オーストリア・スイス(DACH地域)はドイツ語圏として文化的に共通点が多い一方、労働法制には重要な違いがあります。EU加盟国のドイツとオーストリアはEU労働指令の影響を受けますが、スイスは独自の法体系を維持しています。
本記事では、DACH3カ国の就業規則を13の重要項目で比較し、日本企業が複数国で雇用する際の実務的な留意点を整理します。
※ドイツ単体の就業規則については、ドイツ就業規則15のチェックポイントも合わせてご参照ください。
DACH就業規則の全体比較表
| 項目 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 主要法令 | BGB、ArbZG、BUrlG、KSchG、NachwG | ABGB、AZG、UrlG、AngG/ABGB | OR(債務法)、ArG(労働法) |
| EU労働指令の適用 | あり | あり | なし |
| 労働時間(法定上限) | 週48時間(1日8時間、延長10時間) | 週40時間(1日8時間、延長10時間) | 週45〜50時間(職種による) |
| 有給休暇 | 年20日(週5日制) | 年25日(週5日制) | 年20日(最低) |
| 最低賃金 | €12.82/時(2025年)→€13.50予定 | 法定なし(労働協約で規定) | 法定なし(一部州のみ) |
| 解雇保護 | 強い(KSchG、6カ月超勤務で適用) | 中程度(ArbVG) | 弱い(解雇の自由が原則) |
| 試用期間 | 最長6カ月 | 最長1カ月 | 法定1カ月(契約で最長3カ月) |
| 病気休暇の賃金保障 | 6週間100% | 6〜12週間100%(勤続年数で変動) | 3週間〜(勤続年数で変動) |
| 社会保険料率(雇用者負担) | 約21〜22% | 約21〜22% | 約6〜7% |
項目別の詳細比較
1. 労働時間
| 規定 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 法定労働時間 | 1日8時間 | 1日8時間 | なし(上限のみ) |
| 1日の上限 | 10時間(6カ月平均で8時間以内) | 10時間(12時間も例外あり) | 制限なし(ただし週上限あり) |
| 週の法定上限 | 48時間 | 40時間(労働協約で38.5時間が一般的) | 45時間(工業・事務等)/ 50時間(その他) |
| 残業規制 | 厳格(ArbZG) | 中程度(AZG) | 年間上限あり(170時間/45h職種、140時間/50h職種) |
| 根拠法 | ArbZG(労働時間法) | AZG(労働時間法) | ArG(労働法) |
出典:ArbZG(ドイツ)、AZG(オーストリア)、ArG(スイス)
実務上のポイント: オーストリアは週40時間が法定ですが、多くの業界の労働協約(Kollektivvertrag)では38.5時間と定めています。スイスは法定の「標準労働時間」が存在せず、週45〜50時間の上限のみが定められています。
2. 有給休暇
| 規定 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 法定最低日数 | 20日(週5日制) | 25日(週5日制) | 20日(最低) |
| 勤続加算 | なし(労働協約や契約で加算) | 25年超で30日 | 20歳未満は25日 |
| 取得義務 | 強い(年度内取得を推奨、翌年3月末まで繰越可) | 強い | 弱い(ただし2週間連続取得を推奨) |
| 祝日(州による差) | 9〜13日 | 13日 | 8〜15日(州による) |
| 根拠法 | BUrlG | UrlG | OR Art. 329a-d |
出典:BUrlG(ドイツ)、UrlG(オーストリア)、OR(スイス債務法)
実務上のポイント: オーストリアの法定有給25日はDACH最多です。ドイツとスイスは20日ですが、実務上は契約や労働協約で25〜30日に引き上げられるのが一般的です。
3. 最低賃金
| 規定 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 法定最低賃金 | あり(€12.82/時、2025年) | なし | なし(連邦レベル) |
| 実質的な最低賃金 | 最低賃金委員会が定期改定 | 労働協約(Kollektivvertrag)で業種別に規定、実質約€1,800〜2,000/月 | 一部州のみ(ジュネーブ CHF 24.59/時、ヌーシャテル等) |
| カバー率 | 全労働者 | 労働協約で約95%をカバー | 州条例のある州のみ |
出典:MiLoG(ドイツ最低賃金法)、各国労働省
実務上のポイント: オーストリアには法定最低賃金がありませんが、労働協約のカバー率が約95%と極めて高く、実質的にはほぼ全業種で最低賃金が設定されています。スイスは連邦レベルの最低賃金がなく、ジュネーブ等一部の州(カントン)のみ独自の最低賃金を導入しています。
4. 解雇保護
| 規定 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 解雇保護法の適用 | 6カ月超勤務、10人超の事業所 | 6カ月超勤務 | なし(解雇の自由が原則) |
| 解雇の正当事由 | 必要(社会的に不当な解雇は無効) | 必要(一定条件下) | 不要(ただし濫用的解雇は賠償対象) |
| 濫用的解雇の救済 | 職場復帰命令が可能 | 異議申立て・撤回請求が可能 | 最大6カ月分の賃金相当の賠償金 |
| 従業員代表の関与 | Betriebsrat(事業所委員会)への通知・協議 | Betriebsrat への通知・協議 | なし(義務なし) |
| 根拠法 | KSchG | AngG、ArbVG | OR Art. 335-336 |
出典:KSchG(ドイツ解雇保護法)、AngG(オーストリア)、OR(スイス)
実務上のポイント: スイスは「解雇の自由」(Kündigungsfreiheit)が原則であり、DACH3カ国の中で最も柔軟な雇用関係を構築できます。ただし、妊娠中・病気中などの保護期間中の解雇や、差別的な理由による解雇は濫用的とされ、賠償義務が発生します。ドイツは解雇保護が最も強く、KSchGの適用事業所では社会的正当性がなければ解雇が無効になるため、慎重な手続きが必要です。
5. 解雇予告期間
| 勤続年数 | ドイツ(雇用者から) | オーストリア(雇用者から) | スイス |
|---|---|---|---|
| 試用期間中 | 2週間 | 即時(予告不要) | 7日間 |
| 〜2年 | 4週間(月末or 15日付) | 6週間(四半期末) | 1カ月(月末) |
| 2〜5年 | 1カ月(月末) | 6週間(四半期末) | 1カ月(月末) |
| 5〜8年 | 2カ月(月末) | 6週間(四半期末) | 2カ月(月末) |
| 8〜10年 | 3カ月(月末) | 6週間(四半期末) | 2カ月(月末) |
| 10〜12年 | 4カ月(月末) | 6週間(四半期末) | 3カ月(月末) |
| 12〜15年 | 5カ月(月末) | 6週間(四半期末) | 3カ月(月末) |
| 15〜20年 | 6カ月(月末) | 6週間(四半期末) | 3カ月(月末) |
| 20年超 | 7カ月(月末) | 6週間(四半期末) | 3カ月(月末) |
| 25年超 | 7カ月(月末) | 5カ月(四半期末) | 3カ月(月末) |
出典:BGB §622(ドイツ)、AngG §20(オーストリア)、OR Art. 335c(スイス)
実務上のポイント: ドイツの解雇予告期間は勤続年数に応じて最大7カ月まで延長されます。オーストリアは被用者法(AngG)適用者の場合、基本6週間(四半期末)ですが、25年超勤務で5カ月に延びます。スイスは最大3カ月と比較的短く、雇用の柔軟性が高くなっています。
6. 病気休暇と賃金保障
| 規定 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 賃金100%保障 | 6週間 | 6〜12週間(勤続年数による) | 3週間(1年目)〜 |
| 保障期間(詳細) | 6週間固定 | 勤続1年未満:6週間、1〜15年:8週間、15〜25年:10週間、25年超:12週間 | 各州の裁判所スケール(BernerスケールやZürcherスケール)に準拠 |
| 6週間後 | 健康保険(Krankengeld)から約70% | 半額給(4週間)→傷病手当 | 保険(KTG)で80%が一般的 |
| 診断書の提出 | 3日超(契約で初日からも可) | 3日超 | 通常3日超 |
出典:EntgFG(ドイツ賃金継続払法)、AngG(オーストリア)、OR Art. 324a(スイス)
実務上のポイント: オーストリアは勤続年数に応じて最大12週間の100%賃金保障があり、DACH最長です。スイスは法定の保障が比較的短いため、多くの企業が任意のKTG保険(Krankentaggeldversicherung)に加入して80%を最大720日間保障しています。
7. 社会保険
| 保険種別 | ドイツ(雇用者負担) | オーストリア(雇用者負担) | スイス(雇用者負担) |
|---|---|---|---|
| 年金保険 | 9.3% | 12.55% | 5.3%(AHV/IV/EO) |
| 健康保険 | 約7.3%+付加保険料 | 3.78% | なし(個人加入義務) |
| 失業保険 | 1.3% | 3.0% | 1.1% |
| 介護保険 | 1.7%(子なし2.3%) | なし | なし |
| 労災保険 | 業種別(平均1.3%) | 1.1% | 雇用者負担(BUV) |
| その他 | — | 住宅助成0.5%等 | — |
| 合計目安 | 約21〜22% | 約21〜22% | 約6〜7% |
出典:各国社会保険機関
実務上のポイント: スイスの雇用者負担の社会保険料率はDACH最低です。ただし、スイスでは健康保険が個人加入義務(雇用者負担なし)のため単純比較はできません。また、スイスの企業年金(BVG、第2柱)は別途雇用者が半額以上を負担するため、実質的な総人件費を比較する際はBVG拠出も加算する必要があります。
8. 従業員代表制度
| 規定 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 名称 | Betriebsrat(事業所委員会) | Betriebsrat(事業所委員会) | Arbeitnehmervertretung(従業員代表) |
| 設置基準 | 5人以上の事業所(従業員の発議で設置) | 5人以上の事業所(従業員の発議で設置) | 50人以上の事業所 |
| 共同決定権 | 強い(労働時間、賃金体系、解雇等) | 強い(ドイツに類似) | 弱い(情報提供・協議が中心) |
| 根拠法 | BetrVG | ArbVG | Mitwirkungsgesetz |
出典:BetrVG(ドイツ事業所組織法)、ArbVG(オーストリア労働憲章法)、Mitwirkungsgesetz(スイス参加法)
9. 労働契約の書面化義務
| 規定 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|
| 書面契約の義務 | あり(NachwG、2022年強化) | あり(Dienstzettel義務) | なし(口頭でも有効) |
| 記載必須事項 | 15項目以上(NachwG) | 主要条件の明示 | — |
| 交付期限 | 雇用開始日(主要条件)/ 7日以内(その他) | 雇用開始後速やかに | — |
| 違反時の罰則 | 過料(最大€2,000) | なし(ただし紛争時に不利) | — |
出典:NachwG(ドイツ証明法)、AVRAG(オーストリア)、OR(スイス)
実務上のポイント: スイスでは書面の労働契約が法的に義務付けられていませんが、実務上は書面契約を締結するのが標準的です。ドイツは2022年のNachwG改正で記載必須事項が大幅に拡大され、違反には過料が科されるため、最も厳格です。
10. 2026年の法改正動向
| 国 | 主な動向 |
|---|---|
| ドイツ | EU賃金透明性指令(2026年6月までに国内法化義務)、W-IdNr経済識別番号の導入(年末まで)、電子インボイスB2B義務化の段階施行 |
| オーストリア | フリーランス的被用者への労働協約適用開始(2026年1月〜)、解雇予告期間の新ルール |
| スイス | 特段の大規模法改正予定なし(安定的な法環境) |
出典:各国労働省・官報
DACH雇用のコスト比較——モデルケース
年間総報酬€60,000(額面)の従業員を雇用した場合の概算コスト比較です。
| コスト項目 | ドイツ | オーストリア | スイス* |
|---|---|---|---|
| 額面給与 | €60,000 | €60,000 | CHF 65,000(≒€60,000) |
| 社会保険(雇用者負担) | €13,200(22%) | €13,200(22%) | CHF 4,550(7%) |
| 企業年金(BVG等) | —(任意) | —(任意) | CHF 3,250(5%程度) |
| 付随コスト(有給・祝日等) | €4,800(8%) | €6,000(10%) | CHF 3,900(6%) |
| 年間総コスト概算 | €78,000(1.30倍) | €79,200(1.32倍) | CHF 76,700(1.18倍) |
*スイスはCHF建て。為替レートにより変動。健康保険は個人負担のため雇用者コストに含まず。
チェックリスト——DACH雇用の開始前確認
| # | チェック項目 | ドイツ | オーストリア | スイス |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 書面の労働契約を作成(NachwG対応) | 必須 | 必須 | 推奨 |
| 2 | 適用される労働協約(KV)の確認 | 業種による | ほぼ必須 | 業種による |
| 3 | 社会保険の登録手続き | Sozialversicherung | ÖGK | AHV/BVG |
| 4 | 試用期間の設定と書面明記 | 最長6カ月 | 最長1カ月 | 最長3カ月 |
| 5 | 労働時間の管理体制(記録義務) | 義務化進行中 | 必要 | 必要 |
| 6 | 有給休暇の管理・付与ルール | 20日+ | 25日+ | 20日+ |
| 7 | 病気休暇の賃金保障ルール確認 | 6週間100% | 6〜12週間100% | KTG保険検討 |
| 8 | 解雇手続きの確認(Betriebsrat通知等) | 必須 | 必須 | 不要 |
| 9 | データ保護(従業員データ)の体制 | GDPR+BDSG | GDPR+DSG | DSG(2023年改正法) |
| 10 | 賃金透明性指令への対応状況 | 2026年6月期限 | 2026年6月期限 | 対象外 |
まとめ
DACH3カ国の就業規則は、表面的に似ているようで重要な違いがあります。ドイツは解雇保護と書面化義務が最も厳格で、コンプライアンスコストが高い一方、法的安定性があります。オーストリアは労働協約のカバー率の高さが特徴で、有給休暇や病気休暇の保障もDACH最手厚です。スイスは解雇の自由と低い社会保険料率が魅力ですが、生活費(特にチューリッヒ・ジュネーブ)の高さを考慮した報酬設計が必要です。
複数国でDACH展開を進める場合は、雇用法制の違いを踏まえた国別の就業規則・雇用契約テンプレートの整備が不可欠です。各国の労働法に精通した現地弁護士との連携を推奨します。
本記事は、BGB/ArbZG/KSchG/NachwG/BetrVG(ドイツ)、AngG/AZG/ArbVG/UrlG(オーストリア)、OR/ArG/Mitwirkungsgesetz(スイス)、EU賃金透明性指令(2023/970)、各国社会保険機関の公開情報に基づいて作成しています。具体的な雇用手続きは必ず現地の労働法弁護士にご相談ください。